現代の高等遊民 blog

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『天気の子』を観て感動した話

先日、新海誠監督の最新作である『天気の子』を観てきました。本稿では『天気の子』の感想とそれまでの新海作品を比較しながら感想を書きます。完全にネタバレになる記述がありますので、まだ観ていない方はそっとブラウザバックしてください。

『君の名は。』と『天気の子』

本作を観た人は、やはり前作の『君の名は。』と比較したくなったのではないでしょうか。僕ももちろんその1人です。『君の名は。』は、日本の映画史に残る大ヒットを記録しました。その監督である新海誠が3年ぶりに制作したアニメ映画ですから、観客は当然のことながら『君の名は。』を念頭に置きながら本作を鑑賞したと思います。

そしてまた当然のことながら、制作する側も観客が『君の名は。』と比較しながら『天気の子』を観るということを前提にしています。(なんだか頭が混乱してきますね)

では、比較してみてどうだったかというと、ストーリーの完成度は明らかに『君の名は。』の方が高いということです。

それは、物語の構成を見れば明らかです。物語の基本的な構成は、「起承転結」と言われています。

  • 起:物語のキッカケや主題、前提が映し出される。観客を映画に引き込ませる。
  • 承:「起」から「転」への導入。「転」への伏線が張られる。
  • 転:物語の転換点。この点を境に物語は大きく動き始める。
  • 結:物語の結末が描かれる。

実は、『君の名は。』はまるでお手本のように起承転結に従っています。

  • 起:三葉と滝くんが入れ替わる。
  • 承:入れ替わり生活(おっぱい揉んでみたり、バイト先の先輩とデートしてみたり)がコメディとして描かれる。また、以降の伏線が張られる(彗星のニュースとか)。
  • 転:2人が入れ替わらなくなる。滝くんは、3年前の三葉と入れ替わっていたことに気がつく。
  • 結:隕石の事故から三葉を救い、二人は再び出会う。

どうでしょうか。「起承転結」の教科書に載せたいくらいです。「起承転結」という物語の基本的な構成がしっかりと描かれているからこそ、観客は物語に引き込まれます。とくに「転」の意外性と伏線の回収がこの物語を面白くしています

では『天気の子』がどうだったのでしょうか。『天気の子』は、『君の名は。』に比べて、かなり「起承転結」がぼやっとしています。

例えば、「起」は主人公である帆高が東京に家出して、須賀さんに出会ったところでしょうか。それとも、ヒロイン・陽菜に出会ったときでしょうか。しかし、陽菜に出会うまでには、須賀の事務所での働きぶりが「承」のように描かれます。そして、陽菜と出会うってからの2人の仕事も「承」です。「起」があって「承」があってまた「起」があって「承」があるという展開になっています。

また、「転」において意外性のある展開が描かれたかというと、そうでもありませんでした。「転」で描かれた陽菜の消失は予見されていたことで、『君の名は。』のような意外性はありません。

今述べたように、ストーリー構成の完成度については、明らかに『君の名は。』の方が優れていると感じました。しかし、以降で僕が書きたいのは、ストーリー構成の完成度ではなく、物語そのものが持つ厚みであり、リアリティです。

リアルとファンタジー

前章では、ストーリー構成の観点から2つのアニメーションを比較してみました。ここでは、少し違った視点から2つの作品を比較したいと思います。それは、リアリティです。

『君の名は。』で描かれる東京は、僕から観ると全くリアリティがありませんでした。東京はアニメの中に描かれるような綺麗な場所ではないし、男子高校生はインスタばえするカフェなんか行きません。もちろん、お洒落なレストランでウェイターなんてしてないです。そこで描かれていた東京は、田舎の中高生(しかも昔の)が思い描く、ファンタジーとしての東京です。

一方、『天気の子』で描かれた東京は全く逆です。画面は非常に暗く、ローアングルです。歌舞伎町は汚いし、客引きがいます。陽菜は普通に水商売のアルバイトをしようとしています。新海は今回、明らかに『君の名は。』の対比としての東京を映し出しています。ファンタジーの東京からリアルな東京へとシフトさせたのです。

新海誠の命題

雲のむこう、約束の場所

今回、主人公である帆高は「運命の女の子と結ばれるか、セカイを救うか」という二択を迫れます。新海作品のファンであれば、「あれ、過去にもこの2択に迫られたことあるぞ...!?」と思ったことでしょう。そうです、『雲のむこう、約束の場所』です。未鑑賞の方向けに『雲のむこう』のアマゾンの作品紹介を引用してみます。

米軍統治下の青森の少年・藤沢ヒロキと白川タクヤは、海の向こうにそびえる謎の「塔」に飛ぶことを夢見ている。その夢に彼らが好意を寄せる同級生沢渡サユリも加わった。しかし転校した彼女は、やがて原因不明の昏睡状態に。少年二人はそれを知り、ある決断をする。「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」はたして彼らは、いつかの放課後に交わした約束の場所に立つことができるのか…。

読むとわかるように『雲のむこう、約束の場所』でも、同じ2択が出てきます。これを僕は「新海誠の命題」と呼ぶことにします。*1

『雲のむこう』では、『天気の子』と全く逆の結末を迎えます。セカイを救うことはできましたが、女の子とは結ばれません。逆に『天気の子』では、女の子と結ばれますが、セカイの異常気象を止めることはできませんでした。

ここで『君の名は。』を思い出してみましょう。この「新海誠の命題」という視点で語るとき、『君の名は。』の滝くんはその2択の2つともを勝ち取ったと言うことができます(『君の名は。』には『雲のむこう』を思わせる場面があります))。滝くんは運命の女の子と結ばれ、糸守の人々も救いました。

つまり、この3作品は「新海誠の命題」に対し、それぞれ違う回答を描いた作品と言えます。パラフレーズすれば、これら3つの作品は同じ問いに対し、違う選択をした平行世界の物語と捉え直すことができるのです。*2

決断のその後

僕は、前回の『君の名は。』の感想で「この悲しみをどう乗り越えるかが描かれるべきだった」と書きました。そこが、非常に残念だったと。

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本作ではそこがはっきりと描かれています。それはどこかというと、物語の最後、坂道で帆高が陽菜に出会うシーンです。

そのとき、陽菜は祈っています。最初と全く同じように。彼女にはもう、天気を操る力はありません。彼女はそれを知っています。それでもなお、祈っているのです。

『君の名は。』は、言ってみれば、ファンタジーを観ることで、災害を少し忘れてもらおうという試みだったと言えます。しかし、『天気の子』はよりリアリティを持って、過去の災害と向き合おうとしています。

僕たちは災害があったあと、どのようにしてその悲しみや辛さと対峙してゆけば良いのか。楽しいアニメを観て、時間が忘れさせてくれるのを待てばよいのか。

その質問に対する1つの答えとして、最後のシーンが描かれたのではないでしょうか。災害を過去のものとして忘れるのではなく、たった1人その責任を引き受け、その痛みと向き合い続けている少女がいます。そこにはもうファンタジーはありません。セカイを変える力など持っていない少女が、それでもなおセカイを変えたいと願う姿が、あのシーンには描かれています。非常に感動的な場面だと僕は思いました。

確かに『天気の子』は、ストーリーの完成度、映画の完成度としては『君の名は。』には及びません。しかし、『天気の子』の物語としての力強さを大いに評価したいです。まあ、『雲のむこう』の方が好きなんですけどね。

セカイ系の外側へ

物語の感想は、ここまでです。あとは、個人的に気になったところをだらだらと書いてみます。

『天気の子』を観ていて気になったポイントが2つあります。1つは須賀さんの存在で擬似家族です。

須賀さんは、帆高が居候とバイトをする編プロの社長件ライターです。僕が気になったのは、彼が結構、物語の中でキーとなる人物というところです。新海誠が描いてきた作品群はセカイ系と呼ばれています。描かれるのは子どもたちです。セカイ系では通常、大人は物語の中心には入ってきません。

しかし、須賀さんは物語に介入します。帆高を最初に救ったのも須賀さんであり、追い出すのも須賀さんであり、最後に警察から助けるのも須賀さんです。では、須賀さんは子供でしょうか? ちょっと子供とは言えないですよね。結婚して子供がいる大人です。大人だから須賀さんは警察に協力するんです。

でも新海は、須賀さんをただの大人で終わらせないんですよね。その罪悪感から酒を飲んでタバコを吸っちゃうような人です。須賀さんは家出少年を引き取っていることからも、怪しげな編集プロダクションを運営していることからも、普通の大人ではありません。大人になりきれていない大人なのです。だから、須賀さんは物語の中心に入っていけるのです。最終的には、警察にタックルして無事、子どもの仲間入りを果たすわけです。

この須賀さんの葛藤が『天気の子』のもう1つの主題だったように思います。深海はこれまで、大人の心の葛藤というような主題を描いてはこなかったと思います。つまり、セカイ系ばかり描いていました。そんな新海がどうして大人を描いたのか。

結局の所、須賀さんとは新海誠自身ではないだろうか。大人になって、結婚して子どもがいる新海誠と、それでもなお、セカイ系を作り続けている、セカイを変えられると子供のように信じている新海誠を投影しているように僕には思えます。

もう1つ気になったのが擬似家族です。帆高と陽菜と凪は物語の中盤から、あたかも疑似家族のように描かれます。ここもこれまでの新海にはなかったように思います。新海は少年少女の家族的なあり方というものを書いてはこなかったと思います。新海作品の主人公たちは、だいたい親がいないのです。今回も例に違わず、2人には親がいません。しかし、2人は疑似家族を形成していきます。

これから新海は家族的なものを描いていきたいんじゃないかなあと感じました。きっと次回作はセカイ系ではないものを描くんじゃないかなあ。そんなことを期待しています。

あとどうでもいいけど凪くんが可愛くてもうと思いながら観てました。

*1:論理学的には命題ではないけどかっこいいので。

*2:『雲のむこう、約束の場所』は平行世界が存在する世界設定です