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【書評】夏目漱石『坊っちゃん』|坊っちゃんとエディプスコンプレックスについて

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夏目漱石の『坊っちゃん』を読み返しました。あらすじと解説・感想をまとめます。夏目漱石を読んでみようと思ったら、まず『坊っちゃん』を読んでみましょう。

作者・作品紹介

夏目漱石は紹介する必要はありませんよね。言わずと知れた文豪です。『坊っちゃん』は『吾輩は猫である』に続く、漱石二作目の作品です。『坊っちゃん』は夏目漱石の中でも人気の高い作品です。

その人気の秘密は、主人公・坊っちゃんの江戸っ子よろしくのべらんめえ口調の文体でしょう。漱石の作品の中でもとりわけ読みやすい文章です。初めて漱石を読むのに最適の小説ではないでしょうか。

あらすじ

親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」と自ら語る坊っちゃんは、小さい頃から家庭内では疎まれながら育ちます。

そんな中、唯一坊っちゃんを可愛がってくれたのが、女中の清でした。坊っちゃんは父親が死んだとき、兄から貰ったお金で学校をでて、教師の口を四国で見つけます。

赴任先の学校では、教頭の「赤シャツ」が権力を傘にして横暴を奮っています。それに対し坊っちゃんは同僚の「山嵐」とともに「赤シャツ」らに天誅を加えます。

結果的に坊っちゃんは学校を去り、清とともに東京で暮らすのでした。

エディプス・コンプレックス

エディプス・コンプレックスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。語源はギリシャ神話の「オイディプス」まで遡ります。この物語では、主人公のオイディプスは父親を殺し、母親と結婚してしまいます。

この「オイディプス」になぞらえてできた言葉がエディプス・コンプレックスです。エディプス・コンプレックスとは、母親を手に入れようと思い、父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期特有の心理状態のことを言います。

これは精神分析学を創始したフロイトによって提唱されたものです。男児には母親に対する性的な意味での愛情があり、それを父親に否定され諦めることにより、コンプレックスを解消し社会へと出てく、と言うものです。

この理論には賛否両論あり何とも言えないところですが、この理論が思想界や文学界、精神医学に及ぼしてた影響は多大であることは事実だと思います。今回はこのエディプス・コンプレックスと『坊っちゃん』の類似性に着目してみたいと思います。

坊っちゃんとエディプス・コンプレックス

小説の冒頭で、坊っちゃんは家族からの愛情を感じずに育ったことが語られます。唯一坊っちゃんを可愛がってくれたのは、下女の清だけです。ここで清は、坊っちゃんの母親としての役割を担っています。実際、坊っちゃんの本当の母親は清であるという学説もあります。

清が象徴上の母親(本当の母親ではなかったとしても、役割的な意味合いでの母親)だとすると父親は誰でしょうか。役割的な意味での父親は、小説内では描かれません。遺伝子上の父親は登場しますが、役割としては父親ではありません。

しかも、その父親が死んだ場面からこの物語は始まっています。つまりこの小説では、母親への性的な愛情を否定する存在であるはずの父親がいないのです。この父親の不在がこの物語の根幹にあります。

先程のエディップス・コンプレックスの説明では、父親の否定により母親への愛を諦め、社会へと目を向け、大人になると言いました。しかし、坊っちゃんの場合は否定するはずの父親がいません。

故に坊っちゃんは母親(清)への愛情を持ち続けているのです。その為に坊っちゃんは大人にはなれないのです(つまり言葉通りの「おぼっちゃん」)。例えば、坊っちゃんは学校で色々なあだ名(天麩羅先生等)を学生たちから付けられます。

一方、それはそっくりそのまま、坊っちゃんが同僚の教師たちにやっていることです。坊っちゃんもまた、「赤シャツ」だとか「うらなり」だとかあだ名を付けています。このような描写から、坊っちゃんは大人ではなく子どもであることが暗示されています。

坊っちゃんと赤シャツ

赤シャツは赴任先の教頭であり、学内の権力を握っている人物です。ここでは物語のキーマンとなる赤シャツについて考えてみます。

さて坊っちゃんには象徴的な父親がおらず、子どものままである、と言いました。しかし、赴任先の学校で父親の役割を果たそうとする人物が現れます。それが赤シャツなのです。

赤シャツはしきりに坊っちゃんに対して、「こちら側の人間になれ、仲間になりなさい」と誘いをかけています。これはつまり「大人になりなさい」と言っているわけです。しかし、坊っちゃんはそれを拒否し、山嵐とともに赤シャツを懲らしめてしまいます。

そうしてエディプス・コンプレックスを解消しないまま、坊っちゃんは学校を去り、母親である清と共に暮らしていきます。

この小説は驚くほど神話の『オイディプス』と類似しています。異なるのは小説では、大人になれない坊っちゃんが非常に肯定的に描かれている点です。「大人にならなくても良いではないか」そういった声が響いてくる作品です。

 

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