『君たちはどう生きるか』を観た

『君たちはどう生きるか』を観たので感想です。ネタバレあるので気をつけてください。 基本的にはすでに映画を観た人向けに書いています。1回観てそのまま書いているので、引用文とかは間違っているかもしれません。

あらすじ

舞台は太平洋戦争真っ只中の日本。主人公の眞人は火災で実母(ヒサコ)を亡くし、父とともに母の実家に疎開する。そこで父と父の再婚相手でヒサコの妹の夏子、女中らと暮らすことになる。そんなある日、失踪した夏子を追って不思議な「下の世界」へと眞人は足を踏み入れる。その世界で女中のキリコや青サギ、少女時代の母(ヒミ)との冒険を経て、眞人はまた元の世界へと戻ってくる。

大叔父の世界とはなにか

映画を見終わって私が思い出したのは『千と千尋の神隠し』である。本作と『千と千尋の神隠し』は似通った筋書きをしている。失踪した家族を連れ戻すために主人公が異世界へと入り込んでいく。そこで様々な者たちと出会い成長し現実の世界へと帰ってくるのだ。 しかし『千と千尋』とは大きく違う点がある。それは大叔父に後継者になるか眞人が問われる点である。『千と千尋』では、世界の創造主となるかどうか、などという問いは立てられなかった。この眞人に向けられた問いこそが、この映画に大きなテーマ性をもたらしており、純粋なファンタジー作品である『千と千尋』と異なる点だ。

ではこの問いにどのような意味があったのか考えてみたい。「穢れのない石を積む」ことによって理想的な世界を創ることができると大叔父は言う。「穢れのない石を積む」とはどういうことだろうか。

「穢れのない石によって理想的な世界を1から創ろうとした人々」を歴史上に見つけようとすれば、その人たちは革新派もしくは左翼と呼ばれ、典型的には、フランス革命のジャコバン派やソビエト連邦、連合赤軍などに見出すことができるだろう。彼らは確かに自由と平等を掲げ、理想的な社会を作るために命がけで革命を主導した人々だ。しかしながら歴史を見れば明らかなように、自らと考えを異にする人々を弾圧し、社会を恐怖と混乱へと導いた。同じように大叔父が作った理想の世界にもペリカンのように虐げられている動物がいるのだ。

逆にその「穢れのない石によって理想的な世界を1から創ろうとした人々」を痛烈に批判したのがエドマンド・バークから始まる保守主義者たちである。彼らは「穢れのない石」など信じてはいない。積み木のように論理的な世界など信じてはいない。家族や故郷、民族、国家から完全に独立した個人は存在も否定する。我々の世界は理想的ではないかもしれないが、今ある伝統や文化に配慮しつつ世界をより良い方向に修正していくと主張する。(これは現代日本の保守・リベラルの対立とは全く異なることを注意しておく)

この対立こそが、大叔父と眞人の対立なのである。眞人は大叔父と決別し、元の世界へ帰って「キリコ、ヒミ、アオサギのような友だちを作りたい」と言う。友だちを大事にする考え方はかなり保守的な思考ではあるが、そこにアオサギが含まれているのが面白い。アオサギはもともと敵だったはずが、友だちに変わっているのだ。またラストで示されたように眞人の家族の形も変わっていく。古い家族の形を捨て、夏子と腹違いの弟を受け入れた新しい家族を形成している。これは眞人が大叔父が作り上げた理想の世界を冒険したからこそ変わったのである。

その一方で、塔にこもり理想的な世界を維持しようと独り藻掻いている大叔父の姿に、私は宮崎駿自身を重ねざるを得ない。スタジオジブリという世界の中で、紙と鉛筆という原始的な道具を用い、ひたすら理想のアニメーションを作ろうとしてきた独りの老人だ。おそらく理想のアニメなど創ることはできなのだが、そのひたむきな美しさにこそ私は心を奪われてしまう。 その作り上げた世界(=下の世界=アニメーション)は1人の少年を少しだけ変えることができたのだ。

もう1つの物語

最後に少し視点を変えて、もう1つの物語について語ってみたい。それは眞人の母・ヒサコ(ヒミ)の物語だ。 不思議な世界に迷い込み、そこで未来から来た自分の息子に出会う。そして、未来では自分がすでに死んでいることを悟り、また現実世界へと戻ってきた少女の物語だ。

ヒサコはあの不思議な体験を帰ってからも覚えていただろうか。もしそうであるとしたら、自分は眞人を産み、死んでいく人生であることを知りながら生きてきたはずだ。なんという人生だろうか。もしかするとそのことを妹に話していたのではないだろうか。だからこそ、夏子はうなされながら姉に謝っていたのではないか。そうと知っていて、眞人を姉に再開させるために塔の中へと入って行ったのではないか。ヒサコは全てを知っていたからこそ『君たちはどう生きるか』を眞人に残したのではないだろうか。眞人の物語の背後にそんな運命を背負った1人の少女の物語を私は想像してしまうのであった。