現代の高等遊民 blog

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『天気の子』を観て感動した話

先日、新海誠監督の最新作である『天気の子』を観てきました。本稿では『天気の子』の感想とそれまでの新海作品を比較しながら感想を書きます。完全にネタバレになる記述がありますので、まだ観ていない方はそっとブラウザバックしてください。

  • 『君の名は。』と『天気の子』
  • リアルとファンタジー
  • 新海誠の命題
  • 決断のその後
  • セカイ系の外側へ

『君の名は。』と『天気の子』

本作を観た人は、やはり前作の『君の名は。』と比較したくなったのではないでしょうか。僕ももちろんその1人です。『君の名は。』は、日本の映画史に残る大ヒットを記録しました。その監督である新海誠が3年ぶりに制作したアニメ映画ですから、観客は当然のことながら『君の名は。』を念頭に置きながら本作を鑑賞したと思います。

そしてまた当然のことながら、制作する側も観客が『君の名は。』と比較しながら『天気の子』を観るということを前提にしています。(なんだか頭が混乱してきますね)

では、比較してみてどうだったかというと、ストーリーの完成度は明らかに『君の名は。』の方が高いということです。

それは、物語の構成を見れば明らかです。物語の基本的な構成は、「起承転結」と言われています。

  • 起:物語のキッカケや主題、前提が映し出される。観客を映画に引き込ませる。
  • 承:「起」から「転」への導入。「転」への伏線が張られる。
  • 転:物語の転換点。この点を境に物語は大きく動き始める。
  • 結:物語の結末が描かれる。

実は、『君の名は。』はまるでお手本のように起承転結に従っています。

  • 起:三葉と滝くんが入れ替わる。
  • 承:入れ替わり生活(おっぱい揉んでみたり、バイト先の先輩とデートしてみたり)がコメディとして描かれる。また、以降の伏線が張られる(彗星のニュースとか)。
  • 転:2人が入れ替わらなくなる。滝くんは、3年前の三葉と入れ替わっていたことに気がつく。
  • 結:隕石の事故から三葉を救い、二人は再び出会う。

どうでしょうか。「起承転結」の教科書に載せたいくらいです。「起承転結」という物語の基本的な構成がしっかりと描かれているからこそ、観客は物語に引き込まれます。とくに「転」の意外性と伏線の回収が物語を面白くしています

では『天気の子』がどうだったのでしょうか。『天気の子』は、『君の名は。』に比べて、かなり「起承転結」がぼやっとしています。

例えば、「起」は主人公である帆高が東京に家出して、須賀さんに出会ったところでしょうか。それとも、ヒロイン・陽菜に出会ったときでしょうか。しかし、陽菜に出会うまでには、須賀の事務所での働きぶりが「承」のように描かれます。そして、陽菜と出会うってからの2人の仕事も「承」です。「起」があって「承」があってまた「起」があって「承」があるという展開になっています。

また、「転」において意外性のある展開が描かれたかというと、そうでもありませんでした。「転」で描かれた陽菜の消失は予見されていたことで、『君の名は。』のような意外性はありません。

今述べたように、ストーリー構成の完成度については、明らかに『君の名は。』の方が優れていると感じました。しかし、以降で僕が書きたいのは、ストーリー構成の完成度ではなく、物語そのものが持つ厚みであり、力強さであり、リアリティです。

リアルとファンタジー

前章では、ストーリー構成の観点から2つのアニメーションを比較してみました。ここでは、少し違った視点から2つの作品を比較したいと思います。それは、リアリティです。

『君の名は。』で描かれる東京は、僕から観ると全くリアリティがありませんでした。東京はアニメの中に描かれるような綺麗な場所ではないし、男子高校生はインスタばえするカフェなんか行きません。もちろん、お洒落なレストランでウェイターなんてしてないです。そこで描かれていた東京は、田舎の中高生(しかも昔の)が思い描く、ファンタジーとしての東京です。

一方、『天気の子』で描かれた東京は全く逆です。画面は非常に暗く、ローアングルです。歌舞伎町は汚いし、客引きがいて、陽菜は普通に水商売のアルバイトをしようとしています。新海は今回、明らかに『君の名は。』の対比としての東京を映し出しています。ファンタジーの東京からリアルな東京へとシフトさせたのです。

新海誠の命題

雲のむこう、約束の場所

今回、主人公である帆高は「運命の女の子と結ばれるか、セカイを救うか」という二択を迫れます。新海作品のファンであれば、「あれ、過去にもこの2択に迫られたことあるぞ...!?」と思ったことでしょう。そうです、『雲のむこう、約束の場所』です。未鑑賞の方向けに『雲のむこう』のアマゾンの作品紹介を引用してみます。

米軍統治下の青森の少年・藤沢ヒロキと白川タクヤは、海の向こうにそびえる謎の「塔」に飛ぶことを夢見ている。その夢に彼らが好意を寄せる同級生沢渡サユリも加わった。しかし転校した彼女は、やがて原因不明の昏睡状態に。少年二人はそれを知り、ある決断をする。「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」はたして彼らは、いつかの放課後に交わした約束の場所に立つことができるのか…。

読むとわかるように『雲のむこう、約束の場所』でも、同じ2択が出てきます。これを僕は「新海誠の命題」と呼ぶことにします。*1

『雲のむこう、約束の場所』では、『天気の子』と全く逆の結末を迎えます。セカイを救うことはできましたが、女の子とは結ばれません。逆に『天気の子』では、女の子と結ばれますが、セカイの異常気象を止めることはできなかったのです。

さて、ここで『君の名は。』を思い出してみましょう。この「新海誠の命題」という視点で語るとき、『君の名は。』の滝くんはその2択の2つともを勝ち取ったのです*2。滝くんは運命の女の子と結ばれ、糸守の人々も救いました。

つまり、この3作品は「新海誠の命題」に対し、それぞれ違う回答を描いた作品と言えます。パラフレーズすれば、これら3つの作品は同じ質問に対し、違う回答をした平行世界の物語と捉え直すことができるのです。*3

決断のその後

僕は、前回の『君の名は。』の感想で「この悲しみをどう乗り越えるかが描かれるべきだった」と書きました。そこが、非常に残念だったと。

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本作ではそこがはっきりと描かれています。それはどこかというと、物語の最後、坂道で帆高が陽菜に出会うシーンです。

そのとき、陽菜は祈っています。最初と全く同じように。彼女にはもう、天気を操る力はありません。彼女はそれを知っています。それでもなお、祈っているのです。

『君の名は。』は、言ってみれば、ファンタジーを観ることで、災害を少し忘れてもらおうという試みだったと言えます。しかし、『天気の子』はよりリアリティを持って、過去の災害と向き合おうとしています。

僕たちは災害があったあと、どのようにしてその悲しみや辛さと対峙してゆけば良いのか。楽しいアニメを観て、時間が忘れさせてくれるのを待てばよいのか。

その質問に対する1つの答えとして最後のシーンではないでしょうか。災害を過去のものとして忘れるのではなく、たった1人その責任を引き受け、その痛みと向き合い続けている少女がいます。そこにはもうファンタジーはありません。セカイを変える力など持っていない少女が、それでもなおセカイを変えたいと願う姿が、あのシーンには描かれています。非常に感動的な場面だと僕は思いました。

確かに『天気の子』は、ストーリーの完成度としては『君の名は。』には及ばないです。しかし、『天気の子』の物語としての力強さを大いに評価したいです。

セカイ系の外側へ

物語の感想は、ここまでです。あとは、個人的に気になったところをだらだらと書いてみます。

『天気の子』を観ていて気になったポイントが2つあります。1つは須賀さんの存在と擬似家族です。

須賀さんは、帆高が居候とバイトをする編プロの社長件ライターです。僕が気になったのは、彼が結構、物語の中でキーとなる人物というところです。新海誠が描いてきた作品群はセカイ系と呼ばれています。描かれるのは子どもたちです。セカイ系では通常、大人は物語の中心には入ってきません。

しかし、須賀さんは物語に介入します。帆高を最初に救ったのも須賀さんであり、追い出すのも須賀さんであり、最後に警察から助けるのも須賀さんです。では、須賀さんは子供でしょうか? ちょっと子供とは言えないですよね。結婚して子供がいる大人です。大人だから須賀さんは警察に協力するんです。

でも新海は、須賀さんをただの大人で終わらせないんですよね。その罪悪感から酒を飲んでタバコを吸っちゃうような人なのです。もともと、須賀さんは家出少年を引き取っていることからも、怪しげな編集プロダクションを運営していることからも、普通の大人ではありません。大人になりきれていない大人なのです。だから、須賀さんは物語の中心に入っていけるのです。最終的には、警察にタックルして無事、子供の仲間入りを果たすわけです。

この須賀さんの葛藤が『天気の子』のもう1つの主題だったように思います。深海はこれまで、大人の心の葛藤というような主題を描いてはこなかったと思います。つまり、セカイ系ばかり描いていました。そんな新海がどうして大人を描いたのか。

結局の所、須賀さんとは新海誠自身ではないだろうか。大人になって、結婚して子どもがいる新海誠と、それでもなお、セカイ系を作り続けている、セカイを変えられると子供のように信じている新海誠を投影しているように僕には思えます。

もう1つ気になったのが擬似家族です。帆高と陽菜と凪は物語の中盤から、あたかも疑似家族のように描かれます。ここもこれまでの新海にはなかったように思います。新海は少年少女の家族的なあり方というものを書いてはこなかったと思います。だいたいは、親がいないのです。今回も例に違わず、2人には親がいません。しかし、2人は疑似家族を形成していきます。

これから新海は家族的なものを描いていきたいんじゃないかなあと感じました。きっと次回作はセカイ系ではないものを描くんじゃないかなあ。そんなことを思いました。

あとどうでもいいけど凪くんが可愛くてもうと思いながら観てました。

*1:論理学的には命題ではないけどかっこいいので。

*2:『君の名は。』には『雲のむこう』を思わせる場面があります

*3:『雲のむこう、約束の場所』は平行世界が存在する世界設定です

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『君の名は。』を見て感動できない理由

最近、ロードショーで『君の名は。』を見たので、感想を書きました。割とネガティブな感想になってますので、ご注意ください。

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『君の名は。』って?

大体の人は知っていると思いますが、簡単に説明します。『君の名は。』は2016年に公開された新海誠のアニメ映画です。公開当初から新海作品の特徴である美しい絵が話題となり、大ヒットしました。世界興行収入では『千と千尋の神隠し』を抜いて日本映画トップになったらしいです。

新海誠って?

新海誠はもともとは『ほしのこえ』や『秒速5センチメートル』などの作品でアニメ好きにはよく知られた監督でした。それらは、00年代オタク文化の特徴であるセカイ系を代表する作品です。セカイ系については、以下に解説したことがあります。

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あらすじは、皆さん知っていると思うので、割愛して感想に行きたいと思います。

感想

さて、僕が『君の名は。』を初めて見たのは2016年です。映画館で見ました。見終わったあと、猛烈な虚脱感に襲われたのを覚えています。それから、つい最近ロードショーで見て、その気持を言語化してみようと思いました。

中盤まではすごい良かった

中盤まではすごい良かったんですよ。

物語の主人公は東京の高校生、滝くんと糸守という山村で暮らす高校生の三葉です。この2人が、数日ごとに入れ替わってしまうところから物語は始まります。そこから、高校生ならではの一連のアレコレがあります。

ところが、ある日から三葉との入れ替わりがなくなってしまいます。そこで、滝くんは糸守に会いにいくんですね。そして、糸守は3年前の隕石(彗星のかけら)の墜落で消滅しており、三葉はすでに死んでいることを知ります。滝くんは3年前の三葉と入れ変わっていたんですね。

ここで、考えざるを得ないのは、隕石とはなにかってことなんです。これは、明らかに東日本大震災のメタファーです。

いやいや、考え過ぎでしょと思う人もいるかもしれません。でもよく思い出してみてください。

糸守に1200年に一度やってくる彗星の墜落を伝えるための洞窟の絵と途切れてしまった言い伝えがあったことを。僕は震災直後、東北各地で見つけられた石碑や歌に込められた言い伝えが報道されたことを覚えています。

そして何より、『君の名は。』が公開されたのは2016年です。では作り始めたのはいつでしょうか。構想を考え始めたのはいつでしょうか。それは、もちろん震災直後であったはずです。その時期に、このような物語を構想したのであれば、東日本大震災が念頭にあったことは言うまでもないでしょう。

つまり、この物語は本来なら出会い、結ばれるはずの2人が震災によって、出会えなかった話なんですよね。そして、忘れてるんです。災害があったことも、出会えたはずの女の子に出会えなかったことも。だからこそ滝くんは涙を流すんです。運命の人を失い、しかも、それさえも忘れている悲しさに。

これは、2016年の僕たちを非常に批評的な目線で捉えているのではないでしょうか。震災があって、大勢の人が死んで、村が消滅した。あの災害を忘れている僕たちです。本来なら出会えるはずだった大勢の人のことを綺麗さっぱり忘れ去った僕たちのことを描いているんですね。

ここまでは、すごいいいんです!

終盤ですべてが台無しになった件

それがですよ。いきなり、入れ替わって、あーだこーだして、隕石で誰も死ななかった世界線に移動しちゃうんです。「えええええええっっ」てなりましたよ。あの震災をいきなりなかったことにしてしまうんですよ。それはないでしょって思っちゃいますよね。それまでの感動を返してくれよと。

最後に振り返るとか振り返らないとか、途中で3年のギャップに気づけよとか、そんな些細なことはどうでもいいんです。このアニメの終盤で描かれるべきは、じゃあその悲しみをどう乗り越えるかという話なはずです。

でもそうはなりませんでした。簡単に言えば、震災で誰も死ななかったことにしたって話です。悲しみに向き合うよりは、「そんなこと忘れてファンタジーを楽しみましょう」です。そんな物語に感動できますかということです。少なくとも僕はできなかったのです。

何が言いたいか

つまり、何が言いたいかというと、ここまでの話を飲み会でしたらものすごく雰囲気が悪くなったので、気をつけようという話です。

飲み会でアニメの話はダメ、ぜったい

 

 

【書評】乾くるみ『イニシエーション・ラブ」

乾くるみの『イニシエーション・ラブ』を読んだので、感想を書きました。微妙にネタバレしているので、未読の人は絶対に読まないでね。

よくよく考えてみると、すごい小説でした。

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

所感

さて、本作ですが、結構前から作品自体は知っていました。でも絶対読んだら後悔する奴だと思って読んでいませんでした。

なにせ、煽り文句は

「必ず二回読みたくなる」

 ですから。

こういう小説は、読み終わったあと必ず「そんなん知るかよ」と言いたくなりますからね。まあ、アマゾンレビューを見た感じでも賛否が入り乱れていました。おそらく、半分くらいの人は「なんやこれ、つまんな」と思い、半分くらいの人は「くそおもろいやんけ」と思ったのではないでしょうか。

かくいう僕が読み終わった所感は「おっおう...」って感じでした。それから、「ああなるほどねえ」と思い、最終的に乾くるみと編集者にひどく感心してしまいました。

本校ではなぜそれほど、感心してしまったかについて書いてみたいと思います。

小説のトリック

まず、この小説のトリックについて簡単に説明しておきます。この小説はA面とB面の二部構成になっています。A面ではマユとたっくんが合コンで出会って付き合っていく物語で、B面はマユとたっくんが遠距離恋愛を始めてから別れるまでの物語です。

小説の最後のページでA面のたっくんとB面のたっくんは別の人物ということが明かされます。A面とB面は同時期の話で、マユが二股を掛けていたというのが落ちになります。

だからなに?

さて、読み終わった瞬間に「めっちゃ面白かったー」ってなる人は結構幸せな人で、殆どの人が「はあ」みたいな感じだったと思います。僕もそうでした。

なぜそう感じるかというと、この『イニシエーション・ラブ』という小説は、最後のページまでひたすらに退屈な小説だからです。

恋愛小説なのにドラマチックな展開もありません。「必ず二度読みたくなる」という煽り文句がなければ、とてもじゃないけど読み切ることができなかったでしょう。

しかし、それゆえにこの小説は凄いのです!

なぜこの小説はつまらないのか

この小説は、敢えてそれをやっているということが凄い。乾くるみは狙って小説をつまらなく書いています。乾くるみなら、いくらでもドラマチックに面白くかけるはずなのにです。

何故か。『イニシエーション・ラブ』は、読者が「二回読む」ことを前提としているからです。読者が2周することによって、本作は初めてミステリー小説として意味のあるものになります。「二回読ませる」ためにはどうしたら良いかを考えられて作られてるのです。

『イニシエーション・ラブ』は、ミステリー小説にもかかわらず、謎が提示されるのが、最後のページになっています。これは明らかに他のミステリーと異なります。普通のミステリー小説であれば、謎は序盤から中盤に掛けて提示されるものです。

ミステリーの根幹である謎が最後のページに提示されるから、本作は読んでいてつまらない。しかし、もともと二回読むと考えるとミステリーの提示の場所は、ちょうど中間地点ということになります。

更に言うと、二回読んでほしいから、乾くるみは敢えてつまらなく書いています。退屈で読みやすい文章というのは、簡単に読み飛ばしてしまうからです。読者はこの小説を読んでる間ずっと最後のページまでたどり着きたくてしょうがないはずです。1周目は、飛ばし読みでよく、2周目に謎解きをさせるという戦略をとっています。

戦略

この戦略はひどく挑発的です。帯に

「必ず二回読みたくなる」

 と書いてあるだけで、読者は最後まで読むという確信がないとこの『イニシエーション・ラブ』という小説は成り立たないのであり、それができることが凄まじい...!

 

バルザック『ゴリオ爺さん』がクソ面白かったので作品紹介

バルザックの『ゴリオ爺さん』の紹介記事です。今までバルザック読んだことなかったのですが、読んでみたら滅茶苦茶面白かったので記事にしました。

  • バルザックって誰よ
  • 『ゴリオ爺さん』あらすじ

バルザックって誰よ

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写真だけ見るとジャイアン感満載です。バルザックは19世紀フランスを代表する作家です。バルザックが描いたのはきらびやかなパリの人々の生活とその中に潜む人間の苦悩であり、それらが複雑に絡みあう喜劇であり、悲劇です。当時のパリ社交界の、その輝かしさを切り取ったかのような優雅な文体で人間のあり方を描きます。

バルザック作品の特徴はある作品に出てきた登場人物が他の作品にも出てくることです。『ゴリオ爺さん』に出てきた登場人物のその後は他の作品で語られたりします。

ついついバルザック作品をコンプリートしたくなりますね。

『ゴリオ爺さん』あらすじ

 

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

 

 

本作の主人公はゴリオ爺さんではなく、同じアパートに住む美貌の青年ラスティニャックです。ラスティニャックは南フランスの田舎からパリにやって来た法学部生です。ラスティニャックは、田舎の青年ならではの純粋さと並々ならぬ出世欲を持ち合わせた青年です。機会を伺ってはパリの社交界へと進出しようとします。

一方、ゴリオ爺さんは同じアパートの中でも一風変わった人物として描かれます。もともとは大金持ちの商人でした。しかし、徐々に資産がなくなっていき、家賃が安い部屋へと移っていきます。アパートの住人の中では、なぜゴリオ爺さんが貧乏になったのかいろいろな憶測が飛びます。

ラスティニャックは親戚のつてを頼りに社交界へと顔を出し始めます。そこで目にしたのはあのゴリオ爺さんでした。ゴリオ爺さんはパリの社交界にときめく二人の夫人の父親だったのです。

ゴリオ爺さんは娘たちに良い夫を見つけるため、良い暮らしをさせるためにありとあらゆる財産を注ぎ込んでいたのです。それを知ったラスティニャックはゴリオ爺さんをつてにして、ゴリオ爺さんの娘であるニュシンゲン夫人に近づきます。そしてニュシンゲン夫人もまたラスティニャックに惹かれていくのでした。

そんなラスティニャックの前に現れるのが、謎の男・ヴォートランです。このヴォートランという男はとにかく悪魔的な魅力を放っています。彼はパリ社交界に対するアンチテーゼであり、批判精神の象徴です。ラスティニャックはヴォートランから悪魔の取引を迫れるます。

ラスティニャックはパリとヴォートラン、そして良心の間で揺れ動きます。ラスティニャックは一体どのような決断をするのか。そしてなぜ、タイトルが「ゴリオ爺さん」なのか。

もう、バルザックの文体だけでもクソみたに素晴らしいので読んだ見てください。

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あいちトリエンナーレが賛否両論な理由を考えてみた

津田大介氏を芸術監督として迎えたあいちトリエンナーレ2019。それが燃えているらしいので、なんでそんなことになったのか考えてみた。

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  • なにが物議を呼んだのか
  • なぜ批判を呼んだか
  • この騒動の本質について考える

なにが物議を呼んだのか

あいちトリエンナーレとは3年に一度開催される国際芸術祭である。そこでどんな作家のどんな作品を展示するのかの決定権を持っているのが、芸術監督である。

まず今回、話題になったのは、監督が津田大介氏であるということだ。津田大介氏といえば、主にweb媒体で活躍するジャーナリストであることは有名である。だが、芸術とはかなり遠い位置にいるようにも見える。

実際、数年前(東日本大震災)までは、ほとんど興味がなかったようである。もちろん、主催者側はそんなことは百も承知で、あえて美術界隈から少し離れた人物を招聘しているのだろう。

監督として津田氏が就任したのも話題になったのだが、1番の話題は展示する作家のジェンダー平等を実現したということだ。

 津田氏のツイートにあるように、日本の美術分野はジェンダー格差が非常に大きい。もちろん、これは美術業界だけではないのだが。そんな状況のなか、男女の作家数をほぼ同数にしたのである。

なぜ批判を呼んだか

男女の作家数が同じになったことの一体何がいけないのか、と訝しい人もいるだろう。津田氏のツイートに対するリプライを観察していると主に以下のような批判的意見が多く見受けられた。

  • アートに思想を持ち込むな。
  • 性別に関係なく作品の質を評価すべきだ
  • 男女平等にしたらアートの質が落ちる

まず、1番上の「アートに思想を持ち込むな」と言う人はおそらく現代アートに興味のない人の意見である。現代アートは政治や思想とは切っても切れない関係だし、そもそもキュレーターや監督はアート展示に方向性や思想、メッセージ性を込めるのが仕事である。これでは、津田氏に仕事をサボれといっているようなものである。

下2つの意見はだいたい同じである。彼らは男女の性別に関わりなく良い作品を展示すべきであると主張しているのだ。わからなくもない意見である。

しかし、今回のあいちトリエンナーレ2019に関してそのような批判をするのであれば的外れなのである。なぜなら、あいちトリエンナーレは芸術祭であってコンテストではないからだ。良い作品だから、素晴らしい作家だからというだけで選ばれるわけではない。選ばれる作品は芸術監督である津田氏の決めたテーマや方向性に合致したもののみである。

そして、その津田氏がジェンダーレスという方向性を打ち出すのであれば、それにそった選考が行われるのは至極当然のことなのだ。さらにいえば、アートにおいて作品の優劣を決めるというのは本質的に不可能である。それは、美術史を紐解けばすぐにわかることだろう。

もし批判をするのであれば、「ジェンダー平等なんて、使い古された表現であって全く新鮮さもなく、面白みもない」等の批判が起こるべきである。ところが、今回は、新しく革新的であるからこそ、こんなにも話題になっているのである。

ちなみに津田氏は今回はテーマに合った作家を選んだだけで、男女比はそこまで気にしていないという趣旨のツイートをしている。

この騒動の本質について考える

僕はこの騒動をツイートで観察して1つの疑問が湧いた。もし、作家の男女比を同じにしたというのではなく、女性作家のみを集めたという展示を企画した場合にも同じような批判が沸き起こっただろうかという点である。

おそらく、美術に限らずそのような展示は過去にいくらでもあったのではないかと思う。しかし、そのディレクションに批判が集中したかといえば、そうでないだろう。少なくとも僕は知らない。全部女性または男性にすると批判はないが、同数にすると批判があるという面白い現象が起こっているのだ。

そこになにかしらのジェンダー問題の本質が垣間みれるような気がするのは僕だけだろうか。アートとは、観る者に小石を投げ込んでくるようなものである。その小石は、僕たちの心の底にある池に音を立てて落ちて行き、あとには水の波紋と僅かな石の重みが残るのである。だとすれば、津田氏のキュレーションは少なくとも僕にとっては、成功したと言えるだろう。

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pg_restoreでpg_catalogの権限がないと怒られた

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pg_restoreでpg_catalogの権限がねえよとエラーが出てハマったので、原因と解決方法を記事にしました。

やりたかったこと

既存DBのダンプファイルから新規DBにあるスキーマだけをリストアしたい。

状況

既存DBのダンプファイルを以下のコマンドでリストしました。

#pg_restore -U postgres -n [schema] -d [databese] -f [file]

これは、ダンプファイルの[schema]だけリストアしたいときに使うコマンドです。

その際に以下のようなエラーが出ました。

スキーマ pg_catalog への権限がありません

解決策

新規DBにリストアしたいスキーマを予め作成したらうまくいった。

原因

リストアする際に発行するSQLを見ると以下のようになっていました。

SET search_path = ([schema],pg_catalog)

リストアするスキーマとpg_catalogにsearch_pathが設定されていました。予めリストアするスキーマを作成していなかったので、pg_catalogにsearch_pathが設定されてしまいます。

そのため、pg_catalogスキーマにリストアを実行しようとしてしまうため、権限エラーとなります。

スキーマをリストアする際は必ずリストア先のDBにスキーマを作成しておくのを忘れないようにしようと心に誓いました。

【書評】森見登美彦『熱帯』|『熱帯』の隠されたトリックとは

本記事は森見登美彦の『熱帯』の書評および解説です。『熱帯』読んだけど、複雑過ぎてようわからんくなった人向けの記事です。複雑な入れ子構造、森見登美彦の狙いをわかりやすく解説したいと思います。

未読の方は紹介記事を書いていますので、こちらを読んでください。

www.koto-yumin.com

  • 『熱帯』について
  • 『熱帯』の概要
    • 複数の『熱帯』
      • 0.現実の世界
      • 1.沈黙読書会(熱帯0)
      • 2.学団の男(白石さんの物語)
      • 3.満月の魔女(池内さんの物語)
      • 4.不可視の群島(僕の物語)
      • 5.『熱帯』の誕生(僕の物語)
      • 6.後記
  • 物語のセカイ
  • 森見登美彦のトリック

『熱帯』について

本作は「物語の物語」です。物語から物語へと複雑な入れ子構造をもつ作品です。故に途中でわけワカメになったという人も多いのではないでしょうか。実はそれこそが作者の狙いだったのです...!

前半は森見登美彦らしくユーモアが炸裂します。後半はどこか、村上春樹の『ハードボイルドワンダーランド』を思い出させる展開となっています。

『熱帯』の概要

まず、この小説の構造をわかりやすくまとめて見たいと思います。

複数の『熱帯』

『熱帯』はこの小説の題名であると同時に小説内での幻の小説の題名でもあります。間違わないように以下では次のように番号をつけます。

『熱帯0』:現実の世界で僕たちが購入した森見登美彦の小説『熱帯』
『熱帯1』:『熱帯0』の中で、幻の小説とされる佐山尚一が書いた『熱帯』

このあと、物語の内容をまとめながら熱帯のあとの数字増えていきますので、ご注意を!

0.現実の世界

この世界で僕たちは森見登美彦が書いた小説『熱帯0』を買いました。ちなみに僕はKindleで買いました。

1.沈黙読書会(熱帯0)

森見登美彦はかつて読んだ『熱帯1』について思い出す場面から『熱帯0』は始まります。そして、沈黙読書会で白石さんが持つ『熱帯1』を見つることになります。そこから白石さんは語り始めます。

2.学団の男(白石さんの物語)

この章では白石さんが語っている内容です。白石さんは、お店によく来る常連客の池内さんと出会います。白石さんはかつて自分が幻の小説『熱帯』読んだことがあることを知ります。ここで、白石さんの話の中で出てくる『熱帯』を『熱帯2』と呼びましょう。白石さんは池内さんとともに『熱帯2』の謎を探っていきます。

3.満月の魔女(池内さんの物語)

ここで、話は白石さんの物語の中の池内さんのノートの内容になります。池内さんは千夜さんを追って京都へと行きます。池内さんは京都でマキさんに出会い、千夜さんが姿を消したという図書室に入って行くのでした。

4.不可視の群島(僕の物語)

ここで、話の語り手が誰だかわからなくなります。一人称が「私」ではなく、「僕」に変わっていることに注意しましょう。物語は1章で森見登美彦が語った『熱帯1』の内容と同じ出だしで始まります。「僕」は記憶を失い、佐山尚一と出会います。そして様々な不思議な経験をします。

5.『熱帯』の誕生(僕の物語)

「僕」は最初に行き着いた観測所で手記を書き始めます。この島で体験したことを書いていきます。最後に「僕」は自分の名前が「佐山尚一」であることを思い出します。この手記を『熱帯3』としましょう。

6.後記

佐山尚一は不思議な世界を抜け出し、現実の世界へと戻ってきます。しかし、そこは佐山尚一がもといた世界とは違う世界なのでした。不思議な体験から20年たったある日、佐山尚一は沈黙読書会にでかけます。そこで、白石さんが持つ、森見登美彦が書いた『熱帯』(『熱帯4』とする)を見つけます。そして白石さんは語り始めるのです。

物語のセカイ

この物語には大きく分けて3つのセカイがあります。1つは1~3章のセカイ(セカイ1)です。この中で沈黙読書会で森見登美彦と出会った白石さんは同じ『熱帯』の話をしています。故に『熱帯1』=『熱帯2』と見てよいでしょう。

4、5章のセカイでは、森見登美彦や白石さんが語った『熱帯』と同じ内容が描かれます。4,5章は『熱帯1』、『熱帯2』の中のセカイ(セカイ2)と考えられます。つまり、佐山尚一が書いた手記(『熱帯3』)の内容が『熱帯1』や『熱帯2』であり、幻の小説と言われていた『熱帯』です。

6章では佐山尚一は4,5章のセカイ2を抜け出し、もといたセカイとは違うセカイ(=セカイ3)へと出てきます。

ここで佐山尚一がもともといたセカイとはどこか考えてみましょう。そのセカイでは佐山尚一が消失しているセカイであるはずです。そのセカイとはセカイ1です。セカイ1で佐山尚一は行方不明になっています。

まとめると、佐山尚一は最初にセカイ1にいました。その後、4,5章のセカイ2に迷い込みます。そして6章でセカイ3へと出てきます。

森見登美彦のトリック

ところで、セカイ3とは一体どこでしょうか。セカイ3は森見登美彦が『熱帯』を 書いたセカイです。森見登美彦が『熱帯』を書いたセカイとは、僕たちが『熱帯0』を買ったセカイではないでしょうか。佐山尚一が出てきたセカイは『熱帯0』の中ではありません。僕たちが生きる現実のセカイです。

小説を読み終わったあと、「この小説はいったいどういう出だしだったかな」と感じた人が多いと思います。そして思わず、最初のページを確認しませんでしたか?僕は思わず、最初ページに戻ってしまいました。そして、「ああ、森見先生が最初に出てきてたんだ」と。

本作は「最初のページに戻ることによって」物語が完結します。なぜなら、最後のページに白石さんが持っている『熱帯4』は、白石さんが語りはじめる物語は、森見登美彦が書いた現実のセカイの『熱帯0』だからです。これが森見登美彦が仕掛けたトリックです。

僕たちは小説を読んでいたはずです。ところが、いつの間にか登場人物は小説を超え、僕たちのセカイへとやってきます。僕たち読者は小説を読んでいる間だけ、現実の世界を離れ、物語の世界へ入り込むことができます。でももし、小説の最後のページを読み終わっても終わらない物語、そこから始まる物語があるとしたら、僕たちはこの後、自ら物語を作ることができるのではないか。「創造の魔術」を使えるのではないか。

僕は立ち上がって海の彼方に目をやる。すべてを失ってこの熱帯の海へやってきたとき、どれほど僕は不安に思ったことだろう。僕は何者でもなく、この海は見渡すかぎり何もない世界だった。しかしこの熱帯の海からこそ、〈創造の魔術〉は始まる。僕は虎に向かって次のように告げる。「それでは君を『熱帯』と名づける」

森見 登美彦『熱帯』

 

『熱帯』を読み終わったあと、真っ先に思い出したのは円城塔の『Self-Reference Engine』です。円城塔も同様に「物語についての物語」を書いています。しかし、その結末はかなり違います。円城塔は物語を終わらせ、森見登美彦は物語を終わらせないことを選んだのです。

 

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森見登美彦のおすすめ作品|『熱帯』のあらすじを紹介

森見登美彦の『熱帯』を紹介します。森見登美彦といえば、『太陽の塔』や『夜は短し歩けよ乙女』等でくされ大学生を描くことに定評のある作家です。最近では『ペンギン・ハイウェイ』が映画化され話題になりました。今回は、そんな森見登美彦の最新作『熱帯』のあらすじを紹介します。読もうかどうか迷っている人は是非参考にしてみてください。

熱帯

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おすすめ度

おすすめ度:4.0(5点満点)

僕は学生時代から森見作品のファンでして、文庫化されている小説はほとんど読んでいると思います。今作『熱帯』は森見ワールドは若干控えめでありつつ、森見登美彦の新たな方向性を感じました。森見ファンにとってはとても新鮮な内容だったのではないでしょうか。

一方、初めて森見作品を読む人にはあまりおすすめはできないように思います。面白いのは確かですが、とにかく長いですし、メタ小説となっているので慣れていないと混乱してしまうでしょう。もちろんそういうのが好物な人(僕)みたいな人にはオススメの作品です。僕はもう最初から興奮しっぱなしでした。

森見作品がはじめての方であれば、『太陽の塔』や『夜は短し歩けよ乙女』あたりを先に読むことをおすすめします。森見作品を読んだことがあり、割と気に入っているのであれば、読んで見るべき作品だと思います。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 あらすじ紹介

『熱帯』は摩訶不思議な森見先生の作品の中でも一つばかり頭が抜けて不思議な作品です。森見登美彦といえば、くされ大学生から化け狸、天狗からペンギン、そしておっぱいまで、ありとあらゆる魅惑的なものを題材として選んできました。

そんな彼が今回題材として選んだのが「物語」それ自体です。今回の主人公は『熱帯』という小説そのものであると言っても過言ではありません。その小説は誰も読み通した人いないと言われる幻の小説です。

本作の冒頭では作者である森見登美彦氏が登場し、幻の小説『熱帯』について語る場面から始まります。森見は学生時代に『熱帯』を手に入れたが、読んでいる途中で失くしてしまい読了できなかったと言います。それ以降、あらゆる方法で『熱帯』を探したが、ついに見つけることができなかったのです。

そんなあるとき森見登美彦は「沈黙読書会」という謎の同好会に参加することになります。同好会では、各メンバーが本にまつわる謎を持ち寄って話し合いが行われているのだと言います。森見は、ある女性が抱えてる本に気が付きます。そう、長年追い求めていた『熱帯』です。そして、女性は語り始めます。

『熱帯』がなぜ幻の小説となったのか。どうして誰も読み終えることができないのか。そしてどのようにして『熱帯』が誕生したのか。物語は現実と非現実を行き来しながらその謎に迫っていきます。

読み終わったあと、読者は必ず1ページ目から読み直すことになることでしょう。

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