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実存主義を簡単に解説 〜実存は本質に先立つ〜

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本記事は「実存は本質に先立つ」の意味についてわかりやすく解説します。

実存は本質に先立つ」何を言っているのかわかるようなわからないような言葉ですね。実はこれは実存主義を代表する哲学者のサルトルの言葉です。

本稿ではざっくり実存主義について解説するので、細かいところはあまり気にしていません。

サルトル

この言葉を述べたのは、20世紀を代表する哲学者・ジャン=ポール・サルトルです。この「実存は本質に先立つ」という言葉を軸に、サルトルの実存主義*1について解説します。

さて、この”実存は本質に先立つ”という言葉は3つの要素に分解できます。実存、本質、先立つの3つです。この中で最も理解しにくい言葉は「実存」です。とりあず、実存=存在と置き換えて考えてみて下さい。実存の意味については後から説明したいと思います。

先立つモノは金?

まず”先立つ”とはどういう意味でしょうか。これは哲学用語でも何でもありません。通常の使用方法と同じ意味で用いられています。とは言っても普通の人は「先立つ」なんで言葉は使わないですけどね。先立つというのは、文字通り「先に立っている」、「先にいますよ」という意味です。

よく「先立つモノは金」なんて言ったりします。これはお金が先にないと何もできないよというときに使う言葉です。

なので、「実存は本質に先立つ」をくだけて言うと、「実存が先にあって、後から本質が来るんだよ」という意味になります。

ペーパーナイフの本質

サルトルはよく説明のためにペーパーナイフの例を使ったそうです。ここでもサルトルに習ってペーパーナイフを例にとって説明したいと思います。

ではここでペーパーナイフの本質とは何かについて考えてみましょう。ペーパーナイフの本質について考えることは「ペーパーナイフの目的とか役割は何か」を考えることと似ています。

ペーパーナイフは皆さんご存知だと思いますが、便箋などの紙を切るために作られたものです。この「紙を切る」というのがペーパーナイフの本質(=目的=役割)だとサルトルは言います。

ここでサルトルが強調するところは、ペーパーナイフは作られる(=存在する)前に本質がある、ということです。ペーパーナイフは作られる前に「紙を切る」という目的があり、その目的のためにペーパーナイフが作成されます。すなわち、ペーパーナイフは「紙を切る」という目的が存在より先にあります。言い換えると、ペーパーナイフは本質(目的)が実存(存在)に先立つということです。

人間の本質?

ではここで、我々人間の本質について考えてみましょう。人間の本質とは何でしょうか。何のために我々は存在し、生きているのでしょうか

この問題は古くは古代ギリシアから論じられています。ソクラテスはそれを「善き生」に求め、プラトンは「イデア」、アリストテレスは「最高善」と言いました。古今東西、様々な人が人間の存在理由について考えましたが、未だ結論はついていないように思えます。

しかし、実存主義者は人間の本質を規定する哲学を否定します。実存主義者は人間に本質など初めから備わっていないのだと主張します。我々は何かのために生まれたのではないと言うのです。

ここに至ってサルトルは冒頭の台詞「実存は本質に先立つ」と述べるのです。すなわち、我々は生まれながらに本質(=生きる目的)を持っているのではない、本質(=生きる目的)がある前に実存(=存在)があるのだ(=実存が本質に先立つ)というのです。

先程のペーパーナイフの例では本質が先立っていました。本質が最初から備わっているか否か、これが人間とペーパーナイフの違いだとサルトルは言います。

実存とは何か

さて、前章で人間の本質は最初から備わっているわけではないと言いました。じゃあ結局、「人間の本質ってなんなのよ」と思った人もいるかと思います。実はその問いこそが「実存」という言葉の核心に迫るものです。

我々にはもともと本質があるわけではありません。それならば、我々は本質を自ら探し求めなければいけない。自分自身で本質(=生きる目的)を掴み取らなければならないとサルトルは言います。

本質(=生きる目的)がないということは、何をすればよいかわからない状態です。そのような状態で人間は不安、恐れ、いらだちを感じます。

この状態をサルトルは「自由の刑に処せられている」と表現しています。(いきなり面接とかで「自由に喋ってみて」と言われた場合を考えてみてください。何を喋ればいいか困ってしまいますよね。それより「好きな小説について話して」と言われたほうが楽ですよね。)

人間は生まれてから現在まで、自由の刑に処せられながら無限の選択肢の中を生きています。選び取らなかった選択や選らんだことを後悔した選択があったかもしれません。しかし、いずれにせよ私たちは何かを選び取らなければいけなりません

自由という、もしかしたら失敗するかもしれない不安の中で、自らの生き方や役割(=本質)を選び取らなければならない。過去の選択の責任を引き受け、過去から現在という直線の先端に立ち、その恐れや不安のただ中で、未来という不確定な世界に自分自身を投げうっていく(=投企する)、そのような存在を実存(=現実存在)といいます。

サルトルの生涯のパートナー(今で言う事実婚)であり、哲学者でもあったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、実存というあり方を端的に捉えた以下のような言葉を残しています。

人は女に生まれるのではない、女になるのだ

実存主義のその後

サルトルの実存主義哲学は、その強烈なメッセージ性・文学性もあり、若者に絶大な支持をうけます。サルトルは正に時代の寵児なったといえます。

しかし、実存主義の全盛期もそう長くは続きません。サルトルの晩年にはその影響力は急激に衰えて行きます。そして実存の時代が終わり構造主義の時代が到来します。そこでは、サルトルに影響され哲学を志した多くの若い哲学者が時代を彩ります。

この時代はフランス哲学が非常に盛り上がった時代です。興味のある方は是非、勉強してみてください。

 

*1:実存主義といっても人によって大分立場が違います。本記事では、主にサルトルの実存主義について説明します。