石垣島に行った話

宮古島に来てから1週間が経つ頃、そろそろ移動した方が良い気がした。

出るのは良いが、どこに行くかは全く決めていない。そこで宿に来ていた常連客(宿に常連客というのも沖縄特有かもしれない)に訊ねると、どうせ暇なら波照間島に行けと助言をもらった。

波照間は、石垣島の南西に日本最南端の島である。綺麗な海岸と星空で有名だ。ただ、船の欠航が多いことで知られており、日程に余裕があるときにしか行けない。波照間島に行くには、宮古島の隣の石垣島に行く必要がある。石垣は周辺に点在する離島行きフェリーのターミナルになっている。なので、八重山地方(石垣島周辺)の離島に行くには、必ず石垣島に行く必要がある。

宮古島を去る日、同じゲストハウスにワーケーションで来ていた女性が車で宮古島を案内してくれた。僕は初日に島を適当に周った以外は観光らしいことは何一つしていなかったのだ。宮古周辺の伊良部島や来間島の海岸線をドライブした。その日はおそらく、宮古島に来てから最も天気の良い1日だった。

宮古島から石垣島へは、飛行機で1時間程度だ。離陸したと思ったらすぐ着陸のアナウンスが流れるくらいの距離である。

石垣島の市街地に降り立って僕は、ずいぶん都会に来てしまったなあという感想を抱いた。ドンキホーテやコンビニ、商店街などが揃っており、大きめの地方都市といったところである。少なくとも宮古島にあったのどかさのようなものはあまり感じられなかった。

石垣から波照間へは、日に3本ほどフェリーが出ており、1時間半ほどかかる。波が高い日は酔い止めが必須である。波照間へ行った僕は、結局のところ何も見ることができなかった。その日はすぐ隣を台風1号が通過しており、波が高く曇っていた。綺麗な海岸も星空も見ることはなかった。次の日の朝、壮大な積乱雲の塊を遠くに見ただけだった。(それはそれで、見応えがあった)

もし、波照間に行くなら天気の良い夏(台風さえ来なければ、夏は大体晴れである)の新月の時期に行くと良いだろう。満月だと明るすぎて星が見えないから。

波照間から石垣に戻ってきて数泊したのち、僕は黒島に向かった。黒島は石垣から30分程度の島だ。この島には、本当に何もない。やることと言えば、自転車で島を1周して牛を眺めるくらいである。黒島には幼い黒毛和牛が飼育されており、そこら彼処にいる。調べによると人間より牛の方が多いとのことだ。

この何ない島にどうして観光客が来るのかは不明であるが、それなりに民宿があり、客がいる。僕はようやく3軒目に電話した民宿に泊まることができた。

実を言うと、この何もない島での出来事がこの旅で1番印象に残っている。それは、僕が自転車で島を1周して宿に戻ってきたときだ。民宿の庭では、宿泊客だろう数人の男女がビールを飲んでいた。誘われるがままに席に着くと、海でとってきたばかりだと言う貝の刺身が並んでいた。

僕たちは貝の刺身を肴に真っ昼間からオリオンビールを飲んだ。お互いに身の上話をしていると、誰かがギターを弾き始め、また誰かが合わせてパンデイロ(ブラジルの打楽器)を叩いた。その光景を眺めながら、僕らは歌を口ずさんだ。何を歌ったかはもう覚えてはいない。

結局、宴が終わったのは夜の12時を超えていた。

次の日黒島を出た僕は、竹富島へと向かった。正直言って竹富島について語れることはほとんどない。竹富島には、沖縄的なものが全て揃っている。伝統的な民家、綺麗なビーチ、水牛、そして星空。しかし、僕にとってはあまりにツーリスティックな島だった。まるで、ディズニーランドのアトラクションに来ているかのような錯覚さえ覚えてしまったのだ。だが、それも沖縄のひとつの現実なのだろう。きっと、いちばん最初にこの島を訪れていればまた、印象も変わったのかもしれない。

それからしばらくの間、石垣島でのんびり過ごしたあと、僕は沖縄を出た。約3週間ほどの旅行だった。

一般的に、旅行とは過程を楽しむものだ。美しい観光名所よりも、その途中の出来事、誰と行き、何を話たかが思い出として残るのである。
もしかするとその過程を生むために観光地のようなものが必要とされるのかもしれない。帰りの常磐線の中で僕はそんなことを考えた。

最寄駅で降りると、久しぶりにセブンイレブンに入った。島には、ファミリーマートとローソンしかないのだ。適当な夜ご飯を手にとり、お酒コーナーに行くと、そこにはオリオンビールが並んでいた。

あらゆる島で毎晩のように飲んだあのビールである。僕はオリオンビールをカゴに入れた。それは、あの照りつくような島で飲んだオリオンビールとは少し違う味がしたように思えた。