ドストエフスキー『悪霊』読んだので、あらすじ・感想をまとめてみた

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ドストエフスキーの『悪霊』のあらすじ、感想をまとめました。

中盤以降はミステリーの要素も相まって、物語の中にグイグイ引き込まれます。期待していた以上に面白かったです。

作者・作品紹介

ドストエフスキー

『悪霊』の作者、ヒョードルドストエフスキーは、現代でもっとも人気のある作家ではないでしょうか。特に日本の文壇に与えた影響は絶大です。調べてみれば数えきれないほどの作家がその影響を公言しています。

ドストエフスキーが生きたのは19世紀前半から後半のロシアです。この頃のロシアはロシア帝国で、革命や皇帝暗殺事件などが多発する激動の時代です。彼は処女作『貧しき人々』で華々しくデビューするものの、その後は不遇なときを過ごします。

その後、空想社会主義サークルの一員となります。革命を企てたとして逮捕され、死刑宣告を受けた後、減刑されシベリア流刑となります。この体験がその後のドストエフスキーの作品に多大な影響を及ぼしたことは言うまでもありません。

ドストエフスキーの小説は、哲学小説と呼ばれるように登場人物の1人1人がある種の思想を代表しています。この人物はいったいどんな思想を代表しているのかを考えながら読むと楽しめるかと思います。

悪霊

『悪霊』はドストエフスキーの5つの代表作のうち、『罪と罰』、『白痴』の次に発表された作品です。『罪と罰』でドストエフスキーは、「皆のために金貸しの婆さんを殺すべきだ」という命題を主人公に負わせました。

本作でドストエフスキーは、その主張を革命まで昇華させます。自らも革命グループの一員として逮捕された経験のあるドストエフスキーが喜劇的かつ悲劇的に革命を描きます。

この小説は、1869年に実際にモスクワであった革命組織の内ゲバ殺人事件をもとにしています。物語の重要人物ピョートルのモデルはこの革命組織のリーダの男と言われています。現実の事件では存在しないドストエフスキーオリジナルの人物が主人公のニコライ・スタヴローギンです。ニコライを登場させたことにより、『悪霊』は文学史上の傑作となったのです。

『悪霊』は難解な哲学的小説でありながら、非常に緻密なサスペンスです。突如として街に帰ってきた主人公、ニコライ・スタヴローギンとピョートル・ヴェルホヴェンスキーの二人はいったい何を企んでいるのか。この事件の黒幕はだれか。いったい誰が死に誰が生きるのか。そのような謎を含みながら物語は進行します。

中盤以降は序盤での伏線回収をしつつ、事件の真相へと迫る物語は圧巻です。今まで読んだドストエフスキーの小説の中では圧倒的にエンターテイメント性が高く、非常に面白い作品です。

あらすじ

この小説のあらすじを真面目に書こうとすると短編小説1冊分くらいになりそうなので、大雑把に説明したいと思います。

『悪霊』は以下のような意味深な引用で始まります。

ところで、 その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。「ルカによる福音書」( 第 八 章 三 二 ~ 三 六)

実はこの引用こそが物語全体を表していると言っても過言ではありません。悪霊に取りつかれた登場人物たちが喜劇的に悲劇的な結末へとなだれ込んでいきます。

この小説の主人公はニコライ・スタヴローギンです。ニコライは才色兼備で、人々を魅了するカリスマ性を備えています。ただ、ニコライはそのうちに狂気的な悪魔的な一面を持った人物として描かれます。

副主人公のピョートルは革命思想を持つ無政府主義者です。町内に五人組という組織を作り、様々な陰謀、謀略を巡らせます。登場すると際限なく喋り続けるトーク力は必見です。その言動のすべてが嘘っぽい道化師として描かれています。

終盤では、ピョートルの陰謀により引き起こされた事件が町を覆い尽くすことになります。ピョートルが引き起こした革命が人々にどのような影響を与え、悪霊にとりつかれた人々はどのような結末へと走っていくのか。

物語の最後、ドストエフスキーはいったい何に救いを見出すのか。

感想

『悪霊』の登場人物は1人の例外もなく狂っています。ほとんどの人間が情緒不安定で自己中心的な狂人として描かれます(僕の感覚では)。しかしドストエフスキー的に言えば、すべての人が狂人ならば、狂人など存在しないことになるのでしょう。

第1部の途中までは、恐ろしく単調で挫折しかけました。ピョートルとニコライが帰って来てから面白くなります。ミステリー仕立てで飽きることなく読み終わりました。。

この小説では、ピョートルの話しぶりが本当に面白いです。マシンガントークなんてもんじゃないくらいに話し続けます。途中からピョートルが可愛くて仕方なかったです。特にキリーロフに自殺を迫る場面でのセリフ

《ちくちょう、こいつ、自殺しないぞ》

なんだよこいつ、可愛すぎだろ。人はそんな簡単に自殺しねえよとツッコミたくなりました。

さて「悪霊」とは結局のところなんだったのでしょう。この問いに対する一般的な答えはありません。僕は悪霊とは結局のところ思想そのものではないかと思います。なぜなら、この小説の悲劇とは結局の所、各人の思想が原因だからです。思想のために人が死んでいくのです。

だからこそドストエフスキーは物語の最後、思想ではなく信仰に救いを求めているのではないでしょうか。「ルカによる福音書」から引用されるキリストは人間から思想を取り、信仰を植え付けたのです。

この『悪霊』の展開を引き継いでいくのがカラマーゾフの兄弟です。『悪霊』で見出した信仰への救いを否定し、新たなる救済を求めるドストエフスキーの物語は『カラマーゾフの兄弟』へと引き継がれていきます。